カーリング女子の本橋麻里の高校は常呂高校という噂があります。
本橋麻里というカーリング女子の先駆者はどういった学生生活を送っていたのでしょうか?
そして、本橋麻里はどういう経緯でカーリングを始めたのかも気になるところ。
大学生の時にはすでに有名選手だったという本橋麻里の小学校から大学生まで調査してみます。
ということで今回は本橋麻里の高校はもちろん、出身大学や小学校と中学校時代のエピソードなども紹介出来ればと思います。
本橋麻里の高校は常呂!
本橋麻里の高校は常呂高校という噂があります。
カーリング女子は北海道北見市出身という噂ですが、本橋麻里の高校である常呂高校というのも北見市なんでしょうか?
どうやら北見市は2006年に3町と合併したらしく、その一つである常呂町だったところにあった高校のようです。
本橋麻里の高校である常呂高校は、全日制普通科の公立高校で、元々は北海道立網走高校の分校としてスタートしたようです。
とても生徒数の少ない学校のようで、2021年の全校生徒数は30名でした。
本橋麻里は高校時代は競技と勉強で大変だった
本橋麻里の高校時代は競技と勉強で大変だったと語っていた記事がありました。
本橋麻里の高校は公立だったので、遠征でも公欠扱いにならず、出席日数が足らなくなってしまったそうです。
担任の先生が校長先生に直談判してくれて、勉強と競技、両方の成績を落とさなければ、進級させてもらえるということになった。それを校長室で、担任の先生とともに約束したんです。
スクスクのっぽくん
この約束を果たすため、遠征の時もたくさん勉強道具を持っていって、練習後の疲れた体に鞭打って勉強していたそうです。
校長に直談判してくれた、本橋麻里の高校の担任は切り捨てるのでなくやる気を引き出させるのだから素晴らしい人ですよね。
本橋麻里が高校の時に勉強も頑張ったおかげで、スポーツだけやれば良いという考えにならなくなったそうです。
きっと、色々な事に挑戦できる本橋麻里を作ったのはこのようなことがあったからかもしれませんね。
本橋麻里の大学は青森明の星と日本体育
本橋麻里の大学は青森明の星と日本体育大学という情報がありました。
本橋麻里が高校の最後の年にはカーリングのチーム青森に入ったことから、大学は青森県にしたようで、青森明の星短期大学へ入学したようです。
その後、トリノオリンピックに19歳というカーリング競技の最年少で出場しています。
まだ青森へ引っ越して1年でオリンピックの準備は大変だったのではないかと思いますね。
トリノオリンピックといえばフィギュアで荒川静香が金メダルを獲って盛り上がりましたが、カーリングブームもここで始まりました。
強豪カナダや、前回金メダルのイギリスに白星をつけたからです。
本橋麻里はその後、青森明の星短期大卒業後は就職もしましたが、もう一度大学へ行っており、日本体育大学体育学部体育学科へ進学しています。
日本体育大学へ入学後はバンクーバーオリンピックへ出場し、チーム青森を脱退してロコ・ソラーレを立ち上げるなど、学業とオリンピックで忙しそうですね。
本橋麻里は小学校時代からスポーツ万能だった!
本橋麻里は小学校時代からスポーツ万能だったという噂があります。
どうやらお父さんもスポーツ万能だったらしく、それを受け継いでなのかとても足の早い子供だったそうです。
弟と北見の大自然で野山を駆け回るような遊びもしていたらしく、小学校の時にはスポーツ少年団というのにも入っていて、そこで陸上競技をやっていたというのだから、運動神経の良さが伺えますね。
小学校4年生になると陸上部に入って高跳びの選手にもなっていて、全北海道大会にも出場したということなので、相当な選手だったことでしょう。
カーリングはやっていたかというと、本格的にはまだだったようですね。
地域柄、小学校の体育の授業でスピードスケートやカーリングがあったので、そこでカーリングやスケートに触れ始めたそうです。
幼少期は複数のスポーツを通じていろいろな動きを身につけることが重要という話もありますよね。
陸上やスケートなど、多種なスポーツの経験をもとに本橋麻里はアスリートとしての力をつけていったのかもしれません。
本橋麻里は中学校時代に世界大会出場!
本橋麻里は中学時代に世界大会出場しているという情報もありました。
しかし、前出の話では本橋麻里は小学校時代カーリングは授業程度しかやっていないようでしたね。
本橋麻里が中学生の時に北見カーリング協会の会長が声をかけて本格的に始めたそうです。
ただ、中学にカーリング部はなく、バスケットボール部に所属していて、部活が終わってからカーリングの練習をやっていたとか。
まだ12歳だというのにハードな生活を送っていますよね。
そして、まだカーリングを本格的に初めて3年しか経っていないにも関わらず、日本ジュニアカーリング選手権で優勝しています。
同年、世界ジュニアカーリング選手権にも出場する運びになりました。
こちらの結果は最下位だったものの、「スポーツマンシップアワード」というものを受賞したそうです。
たった3年で日本ジュニアのトップ選手になったというのはすごいですよね。
声掛けした会長の目利きも素晴らしかったのだと思います。
その後、本橋麻里は高校へ入学してさらにカーリングへの道へ進んでいくことになります。
まとめ
ここまで本橋麻里の小学校から大学まで学生生活を紹介してきましたが、スポーツも勉強も多岐にわたってアグレッシグに活動されている印象を受けました。
特に本橋麻里の高校の時はスポーツだけでなく、勉強も頑張ることで、他の道もしっかり考えられる術を持ったようです。
この力はただのアスリートだけでなく、チーム発足やメンバー育成に通じていき、カーリング界を盛り上げる第一人者としての本橋麻里を形成したのだと感じました。