練習も試合も常に全力で取り組む水沼宏太。
元プロサッカー選手の父親を持つ水沼宏太はどんな学生時代を送っていたのでしょうか?
身体の成長が遅かったこともあり、プロを意識したのは、水沼宏太が高校生の時。
そんな水沼宏太の高校は横浜創英?
プロを意識する前の小学校や中学校時代はどうだったのでしょうか?
中学時代は保育士になりたかったという情報もあるとか?
それでは、水沼宏太の学生時代を詳しく見ていきましょう。
水沼宏太の高校は横浜創英!
水沼宏太の高校は横浜創英です。
創英高校は、横浜市にある私立の中高一貫校。
国公立や難関私立大を目指す特進クラスや中堅私立大学を目指す文理クラス、多岐にわたる進路に対応する普通クラスがあります。
全国レベルの部活動も多くあり、運動部、文化部ともに輝かしい成績を残しています。
創英高校出身の有名選手(サッカー)はこちら。
- 金井貢史
- 長谷川アーリアジャスール
- 鈴木椋大
水沼宏太は高校への進学の際、サッカーでの進路に迷っていた時期があります。
ジュニアユースからユースに上がれるかどうかもわからない状態があり、神奈川県外の高校への進学も考えていました。
水沼宏太は高校の寮に入って、サッカーを続けようかと悩み、葛藤していた中、ユースへの昇格が決まったそう。
ですので、水沼宏太は高校へ進学後サッカー部には入らず、横浜・F・マリノスユースでプレーしています。
水沼宏太は高校時代、代表に選ばれた際には「水沼貴史の息子」ということで、嫉妬からくる誹謗中傷の声も多くありました。
そんな声に苦しんだ時期もありましたが、「絶対に見返してやろう」という思いから努力し続けたのです。
ちなみに、ユース時代に「プロになる」と決意しています。
成長が遅く、入学当初は160cmと小柄だった体格も、練習やトレーニングで鍛え上げられ、体も大きく成長。
試合に出られない時も、腐ることなく、常に全力で今できることをし、努力を積み重ねていきました。
その結果、誹謗中傷など外野の声も自然と消えて行ったのだとか。
周りが水沼宏太の実力を認めたということですね。
2006年、AFC U-17選手権でキャプテンを任され、12年ぶりの優勝及び3大会ぶりのFIFA U-17W杯の出場権獲得にも貢献しています。
その後、U-17W杯のキャプテンも務め3試合に出場。
ここでは、グループリーグ敗退に終わっていますが、世界のレベルを肌で感じることができたようです。
水沼宏太を成長させる貴重な経験となりました。
そして、水沼宏太は高校3年の10月(17歳8ヶ月)でプロデビューを果たしています。
どんな状況でも腐ることなく、常に全力で取り組む姿勢がプロへ導いたのでしょう。
水沼宏太の小学校は横浜のどこ?
水沼宏太の小学校は横浜のどこにあるのでしょうか?
まず、水沼宏太の小学校ですが、在籍していたのは横浜市立荏田西小学校です。
横浜市立荏田西小学校の住所はこちら。
横浜市青葉区荏田西四丁目5番地1号
1993年に創立し、現在は800名ほどの生徒がおり、青葉区でいちばん生徒数が多い学校です。
水沼宏太は、こちらの小学校に在籍し、サッカーはあざみ野FCに入団しています。
土日はサッカークラブの練習に励み、普段は公園で父親とボールを蹴っていたようです。
小学生が見るテレビ番組と言えばアニメですが、水沼宏太はアニメではなく父親がプレーするサッカーのビデオを見ていたようで、学校で友達の話題について行けなかったと語っています。
繰り返し何度も見ていたため、ビデオデッキが壊れたこともあったのだとか。
サッカーに明け暮れていた小学生時代ですが、実は、水泳も並行してやっていました。
子供の頃にスポーツをさせるのは良く、水泳は体力強化になるからという父の考えがあったそう。
水泳とサッカーで鍛えられた水沼宏太は、5年生の時にサッカーで全国大会に出場。
6年生の時には、神奈川県の県大会で優勝していますが、この決勝戦で先制点を決めたのが水沼宏太です。
小学生の時は、今とはプレースタイルが違っていて、センターフォワードとしてトップでボールを待つスタイル。
ちなみに、水沼宏太は相手の嫌なところを探してゴールを決めるのが好きだったそう。
しかし、5年生の時に、右足を骨折したことが大きな代償となります。
基礎を学ぶべき大事な時に怪我をしてしまい、また、ちょうど成長期真っ只中で体と自分の動きのイメージが合わず苦しんだようです。
周りが上達していく中、追いつけず、プレーしていても面白くないと感じることがありました。
悔しさや焦りもある中、父親の勧めで、ソファに座って怪我していない左足でクッションボールを蹴るなどしてトレーニングを継続。
その時、父親がこんな声かけをしています。
「最終的にどこにいくんだということがしっかりしていればいい。(中略)
必ず挽回するチャンスは来るから」
SOCCERKING
この経験が後に、水沼宏太の信念にもなる「今できることを全力でやる」というスタイルに繋がっているのかもしれませんね。
水沼宏太は中学校時代に保育士になりたかった?
水沼宏太の高校や小学校は分かりましたね。
では、最後に中学時代を見ていきましょう。
水沼宏太は中学時代に保育士になりたかったという話がありますが本当なのでしょうか?
中学は、横浜市立市ヶ尾中学校に在籍。
学校のクラブには入らず、横浜・F・マリノスのジュニアユースに加入していました。
当時は、まだプロになることを意識しておらず、プロを目指す決意をしたのは水沼宏太が高校生になってからです。
小学生時代には、県大会の優勝に貢献するなど、輝かしい成績を残しましたが、中学1、2年の時は、試合に出ることが出来ませんでした。
レギュラーになれたのも3年生の時で、チームの絶対的な存在ではなかったのです。
もしサッカー選手になっていなかったら、水沼宏太は中学時代に保育士になりたかったという思いを実現させていたのでしょうか?
サッカー選手以外であれば、保育士にも興味を持ちました。(中略)
「保育士という職業もいいな」と頭の中でイメージしていました。
UDN SPORTS
中学時代の職業体験で保育園に行き、面白さややりがいを感じ、保育士にも興味を持ったそう。
元々、子供好きなんですね。
子どもたちに伝えたいこととして、子どもの可能性は無限大にあると思うので、何か好きなことや将来の夢を見つけたら、何があっても諦めず、夢中になって続けてほしいなと思うと語っています。
この考え方が保育士に向いてる気がします。
子どもの「好き」をとことん伸ばしてくれそうですよね。
父親がイクメンパパだったこともあり、子ども好きなところは父親譲りかもしれません。
ちなみに、高校時代はミュージカル好きから、劇団四季を見て「これになってみたい」と考えたこともあったとか。
サッカー選手を引退したら、保育士にも是非挑戦してみて欲しいですね。
まとめ
水沼宏太の高校は横浜創英です。
高校時代は、横浜・F・マリノスユースでプレーし、AFC U-17選手権で優勝し、FIFA U-17W杯にも出場しています。
小学校は横浜の青葉区荏田西にある、横浜市立荏田西小学校です。
小学生の時に、あざみ野FCに入団しサッカーに明け暮れていました。
小6の時には、県大会で先制点を決め、優勝に大きく貢献しています。
中学校時代に保育士になりたかったのは本当でした。
職業体験で保育園に行ったことがきっかけで、面白さややりがいを感じて保育士という職業も良いなと思ったそう。
人に感動や勇気を与えたいから、全力でプレーすると語る水沼宏太。
今後も全力プレーでの活躍を期待しています。