現在サッカー選手として活躍中の原口元気さんの中学校は公立だったのでしょうか。
サッカー選手は私立中学校に通っているイメージがあるので、公立だったとすると意外性があります。
また、小学校や高校時代の活躍はどのようなものだったのでしょう。
ファンとして気になったので、今回は原口元気さんの中学校、小学校や高校の学生時代について調べてみたいと思います。
学生時代を知ることで、今の原口元気さんを知ることができるのではないでしょうか。
原口元気の中学校は公立?
原口元気さんの中学校は公立だったのでしょうか。
出身が埼玉県の原口元気さんの中学は、熊谷市立別府中学校です。
こちらはすぐに調べると出てきました。
埼玉県熊谷市西別府にある公立中学校ですが、生徒数はそんなに多くないようです。
令和3年度の新入生は22人、全校生徒は51人でした。
原口元気さんの中学はアットホームな学校のようです。
人数が多すぎると同じ学校の出身者でも知らない場合がありますが、少人数だとお互いに顔と名前はわかると思います。
中学校は同じ学区の小学校から一緒の人も多いですし、全校生徒で50名程度ならあっという間に覚えてしまいそうですよね。
原口元気さんの中学校がすぐわかったのも小規模の学校であったからかもしれません。
学校は自然に囲まれているという口コミが多く、平成24年に熊谷市から環境美化の最優秀賞を受賞していました。
原口元気さんが中学の時には浦和レッズのジュニアユースに所属し、この頃には既に完成されたサッカー選手ではありました。
しかし、生意気小僧と言われるような態度をとっており、自他共に認める、やんちゃ坊主だったようです。
人知れず、悩みなどもあったかもしれません。
原口元気は小学校時代からサッカーがうまかった?
原口元気さんは中学生の頃から浦和レッズのジュニアユースに所属していたのですが、小学校時代からサッカーがうまかったのでしょうか。
なんと、小学生だった2003年には、全国少年サッカー大会でチームを優勝へと導いたメンバーの1人でした。
その際は6ゴールの7アシストという素晴らしい活躍を見せてくれています。
1人で6点も取っているとは、すさまじい選手ですよね。
少年サッカーの1試合での平均的なゴール数は22回なので、平均から計算すると約3分の1はチームに貢献しているといえます。
赤ちゃんの頃からボールに慣れ親しんでおり、1歳前後の歩き出した時にはボールと友達でした。
幼稚園の頃には、先輩の小学生に負けないくらいの才能が開花していたとのことで、サッカーにおいては幼いころから天才的だったようです。
その反面、忘れ物が多かったり、すぐに手が出てしまうという癖があり、暴れん坊というレッテルを貼られていました。
サッカーに対する熱意から、つい他のメンバーに対して厳しい言い方になることもあったそうです。
両親は元気すぎる原口元気さんのことをどう思っていたのでしょうか。
母親は獣医として働いており、周りからは犬は躾けられるのに、と嫌味も言われていたそうです。
それでも、息子に対しては親が限界をつくってしまってはいけないと、自分自身も萎縮しすぎず、厳しくしすぎずで接していました。
性格上、周りから責められることが多かったので、本人にはなるべく多くの居場所を提供してあげようというのが両親の教育方針でした。
やんちゃと呼ばれた幼少時代でしたが、両親の愛情のもとのびのびと育ったようです。
原口元気さんは中学校へ進学後もサッカー一筋の道を歩いていきます。
原口元気の高校時代の活躍は?
原口元気さんの高校時代、活躍はどのようなものだったのでしょうか。
高校は埼玉県にある私立に進学していましたが、途中からサッカーに専念するために転校しています。
選んだのは、数多くのサッカー選手を輩出している、茨城県高萩市にある通信制の高校でした。
授業のほとんどがインターネットを利用した学習になっており、サッカーに集中した生活を送れたのではないでしょうか。
高校2年生で浦和レッズのユースチームで公式戦に出場し、高校3年生の時には浦和レッズとプロ契約を果たしています。
在学中から契約しているということで、クラブ史上最年少Jリーガーなのです。
それほどまでに原口元気さんの才能が素晴らしいものだと認められていたとは、すごいと思いました。
サッカー選手になるべくして産まれてきた存在といえるのではないでしょうか。
現在もベテラン選手としてチームに貢献しており、今後もますますの活躍が期待できそうです。
まとめ
原口元気さんの中学は公立かどうか、小学校や高校時代の活躍についてなど、学生時代について調べてみました。
原口元気さんは埼玉県熊谷市にある市立別府中学校に通っていたようです。
小学生の頃からチームの先頭に立って活躍し、溢れるパワーが時には周囲との摩擦を生むこともありました。
それらを乗り越えながら中学、高校とサッカーを続けた結果、クラブ史上、最年少でプロ契約を結ぶことになり現在も海外で活躍しています。